10月2日から放送が始まったNHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』。その主人公のモデルである昭和の大スター・笠置シヅ子について、「歌が大好きな風呂屋の少女は、やがて<ブギの女王>として一世を風靡していく」と語るのは、娯楽映画研究家でオトナの歌謡曲プロデューサーの佐藤利明さん。佐藤さんいわく「シヅ子はトップスターになっても、下積み時代と変わらぬ倹約生活を過ごしていた」そうで――。
笠置シヅ子東京へ!
1938(昭和13)年4月21日午後9時20分、笠置シヅ子を乗せた「特急つばめ」は、東京駅に到着した。当時、超特急と呼ばれた「つばめ」は、東京〜大阪間のスピードアップのために、8年前の1930(昭和5)年から運行。
それまで「ふじ」が10時間40分かけて走っていたが、丹那トンネルの開通もあって「つばめ」は8時間に短縮された。とはいえ、大阪から東京へ上京するのは、今では考えられないほどの大移動だった。
帝劇でのSGD(松竹楽劇団)公演「スヰング・アルバム」について、笠置シヅ子は自伝で次のように記している。
旗揚げ公演の出し物は「スヰング・アルバム」で私はクヰーン・イザベラみたいな格好をして「踊れェ、歌えェ、リズムをつかめェ……」と、大阪以来の甲高い聲でヂャズ(ママ)を歌いました。
當時、このレヴュー團は少女歌劇しかない日本にスタンダードのスヰング・ショウを打ち立てんとする清新な野望に満ち、スタッフの先生方も出演者も打って一丸となっていました。(「歌う自画像 私のブギウギ傳記」48年・北斗出版社)
1927(昭和2)年、小学校を卒業したばかりのシヅ子が、大阪松竹座楽劇部に押しかけて、レビューの世界に入って11年、トップスターの仲間入りを果たし、いよいよ次のステージへと進んだのだ。
この自伝は、戦前から戦後にかけて芸能評論、劇評などを手掛けていた旗一兵が、1948(昭和23)年「東京ブギウギ」のヒットで「ブギの女王」と呼ばれ始めた頃に、笠置シヅ子に聞き書きしたもの。
パフォーマンスやステージについての記述は、当時、旗がシヅ子を推していただけに、的確で貴重な記録となっている。