孤独な東京での公演
さてSGD公演だが、同じ松竹なのでシヅ子はOSSK(大阪松竹少女歌劇団)からの出向扱いだった。やはり大阪から振付・構成として山口国敏が参加していたこともあり、シヅ子は中野の山口の家に下宿することとなった。
この時のシヅ子のギャラは200円。自伝によると下宿代は食事付きで20円、自分の小遣い銭に30円、残りの150円を大阪の養父母に仕送りしている。
トップスターでありながら、下積み時代と変わらぬ倹約生活を過ごしていた。30円では仲間たちと食事をしたり、おしゃれをする余裕もない。他のメンバーが食事に出かけても、シヅ子はひとり稽古場で、歌を唄ったり踊りのセルフ・レッスンをしていた。
東京はシヅ子にとってはアウェイであり、孤立状態で「幕内では評判がよくなかったかもしれませんが」と自伝でも語っている。
「育ての親に報いたいのと、知らぬ他國で自分を守って行くのに精一杯でした」。華やかなステージ、パワフルなパフォーマンスのシヅ子は、東京での孤独を感じていた。