五大老の一人である前田利家の像。石川県金沢市(写真提供:Photo AC)

松本潤さん演じる徳川家康がいかに戦国の世を生き抜き、天下統一を成し遂げたのかを古沢良太さんの脚本で巧みに描くNHK大河ドラマ『どうする家康』(総合、日曜午後8時ほか)。第40回「天下人家康」では、太閤秀吉(ムロツヨシさん)が没したことで、五大老、五奉行体制がつくられる。朝鮮出兵の事後処理を石田三成(中村七之助さん)が担うも、反発必至の情勢に家康は距離を置き――といった話が展開しました。一方、歴史研究者で東大史料編纂所教授・本郷和人先生が気になるあのシーンをプレイバック、解説するのが本連載。今回は「五大老・五奉行の関係」について。この連載を読めばドラマがさらに楽しくなること間違いなし!

五大老・五奉行について

ドラマの中で「力ではなく知恵で天下人を支えつつ、合議によって政を成すのが夢」と語っていた石田三成。

しかし彼が取り入れた合議制は、実際には上手く機能せず、結果として追い詰められていくさまが前話にて描かれました。

あらためて史実を見てみると、豊臣秀吉が没した慶長3年(1598年)夏から関ヶ原の戦いまでの二年の間、五大老・五奉行という役職が設けられていました。

五大老は文書から判明する席次の順に、徳川家康、前田利家、宇喜多秀家、上杉景勝、毛利輝元となります。五奉行は、これも古文書に見る序列で記すと、前田玄以、浅野長政、増田長盛、石田三成、長束正家となります。