「13人の合議制」との大きな違い

武家のリーダーである天下人の役割は、基本的に「主従制的支配権」と「統治権的支配権」の二つから成っています。

「主従制的支配権」とは、土地を与え、その代わりに命がけでの「軍事の奉公」を求めること。「統治権的支配権」とは、全国を対象とした政治をつかさどること。つまりは軍事と政治の権限を掌握しているのが天下人である、ということです。

それで、この点が重要なのですが、ではどちらが大切かというと、天下人は武士のトップなので軍事が重い。源頼朝も、足利尊氏もそうでした。

このことからすると、五大老は、秀吉が掌握していた「主従制的支配権」を五人で分掌する存在と考えられるのではないでしょうか? 

この権限は、秀頼がしかるべき年齢に達したら、彼一人が担うことになることが予定されていた。一方で五奉行は「統治権的支配権」を担っていた。こちらは秀頼が成人しても、三成以下は家老として機能し続ける性格のものであった。

細部を詰めれば十分に学術論文にできる内容ですが、ぼくはざっくりとそう理解しています。

付言すると、源頼朝の没後、北条時政ら13人の有力御家人は源頼家の権限を実質的に分掌する「13人の合議制」を設けましたね。この時「主従制的支配権」は名目的には、源頼家のもとに残されていました。実際、領地を保証する文書は、あくまでも頼家の名で出されている。

「13人の合議制」と五大老の制度は、この点で大きく異なっているのです。

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「将軍」の日本史』(著:本郷和人/中公新書ラクレ)

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