水谷 渡さんを紹介してくれたのは優作ちゃんです。石原裕次郎さん、渡さん、優作ちゃんが出演していた『大都会PARTII』(77~78年)に出てほしいと優作ちゃんから言われて。日活撮影所での初対面の日、寒いのに僕は半そで姿。渡さんが付き人にそっと耳打ちされたら、肩かけを持ってきてくださった。感激しました。

松田 渡さんは、何度かうちにも見えました。優作から電話があり、突然、「これから渡さんとほかのレギュラー出演者を連れていく」と言われて私はパニックに。刑事の衣装のままの渡哲也さん、高品格さん、小野武彦さん、峰竜太さんが玄関から入ってきて、ものすごく緊張しました。(笑)

水谷 優作ちゃんは毎年自宅で餅つき大会を開いていて、渡さんもご家族を連れてこられた。マミさんの人柄もあって、松田家はさまざまな人が集う場になっていましたね。

松田 懐かしいですね。『赤い激流』(77年)で初共演した宇津井健さんからも、豊ちゃんはずいぶん影響を受けたようで。

水谷 宇津井さんは別れ際に必ず、ユーモアをきかせた一言をおっしゃる。ああいう大人になりたいなと思いました。一方で、「ああはなりたくない」という方もいて……(笑)。大人への反発が強いタイプでしたから。優作ちゃんもそうだったと思いますけど。

松田 それは若さゆえ、という面もあるんでしょうね。

水谷 優作ちゃんが膀胱がんの治療で入院中、病院の屋上で何度も語り合いました。その時、昔は大人に反発していたけれど、今は当時の大人の言動を理解できる、という話になった。

自分たちも大人になり、ようやくその人たちの立場や気持ちがわかるようになった。だから、これからもっといい仕事ができそうだ――そんな話をしていた矢先に亡くなってしまった。まだ40歳でしたからね。早すぎます。