「運動と共に理解する」は人間本来の性質である

そして運動は「理解」とも深く関わります。たとえば「山の向こうにどんな景色が拡がっているか?」を知るには、山の向こうまで移動しなければいけません。

私たちの脳は、(1)山の向こうまでの視覚情報の変化、(2)山の向こうまで移動したときに身体各部から得られる運動の情報、(3)移動するときの外からの情報、などを統合して初めて「山の向こうの景色」を理解します。

「動かずに理解できる」ということはなく、「運動量が不十分なのに理解が十分」ということも、本来ないのです。

山の向こうに「オオカミの群れがいる」、あるいは「たくさんの果物がなっている」、どちらの景色の理解も生存に直結します。そういった重要情報を群れ、仲間、家族に共有する手段として絵画や言語が発達してきたと考えられています。

現代社会において、スマホで動画を視聴する、SNSを眺める、などのテクノロジーの発達は、プラスの面もたくさんありますが、運動の欠落というマイナスも招いています。理解したような気になるんですね。

ですから「運動と共に理解する」は人間本来の性質であることを強調しておきたいと思います。

運動すれば、理解できる。理解できれば、予測できる。予測できれば、生きる可能性が上がる。運動は本来、「生きる」ということに向かう行為であり、「生きる」ということの証明です。

アスリートやパフォーマーが人々に感動を与え、賞賛される最大の理由——それは「生きる」を体現しているからではないでしょうか。

※本稿は、『可能性にアクセスするパフォーマンス医学』(星海社新書)の一部を再編集したものです。


可能性にアクセスするパフォーマンス医学』(著:二重作拓也/星海社新書)

現代におけるテクノロジーの発達は、人間の根幹を成す「運動」の欠落という大きなマイナスを招いています。「運動と共に理解すること」は人間本来の性質です。運動すれば、理解できる。理解できれば、予測できる。予測できれば、生きる可能性が広がるーー運動は本来、「生きる」に向かう行為なのです。本書は脳や身体の可能性を、現役のスポーツドクターがその根拠となる医学的背景とともに解説し、「視る」「呼吸する」などの具体的な側面から「パフォーマンスとはなにか」を紐解き、人間の心と身体における原理原則を共有します。「パフォーマンス医学」はあなたの可能性にアクセスします。