だからアメリカには来たくなかったんだ
彼が編入したのは公立高校のインターナショナル・バカロレア、略してIBという特設のコースだった。
世界転校を繰り返してきた息子は、多言語スピーカーであることと、ポルトガルでは数学オリンピックにリスボン代表として参加したことなどが注視されて、この教育プログラムに入ることになったのだが、クラスの生徒たちの様子はリスボンの学校とはまるで違った。
彼らの殆どがエリート大学を目指して日々勉強に明け暮れており、全くティーンエイジャー的青春を謳歌している様子が見られない。父兄とのミーティングに出ても、どの親も子供たちの将来や、大学に進学する際の経済的な負担などへの不安を滲ませた暗い表情で、にこりともせずに教師の言葉に耳を傾けている。
息子はそれでもなんとか努力してこの環境に適応していったが、多過ぎる宿題のために睡眠時間は毎日3時間、ランチ時間返上で授業の入っている教科もあった。
夫は夫でシカゴ大学での仕事がハードだと嘆いているし、私は5本もの漫画の連載を抱えてパンク状態。毎日睡眠不足で朦朧としながら朝食を取る息子を見かねて「そんな厳しい学校辞めてしまえ」と声を上げることも度々あった。だからアメリカには来たくなかったんだ、と愚痴を漏らして夫と喧嘩になることもあった。