マリさんと一緒に世界を渡り歩いてきた息子のデルスさん。アメリカの環境には苦労させられたそうで――。(『扉の向う側』(マガジンハウス)より)
出入国在留管理庁によれば、2019年には2000万人を超える日本人が出国していましたが、ここ数年は急減。コロナ過が明けたことで、ようやくその数も戻り始めています。一方、「旅する漫画家」として知られているのが、随筆家で画家、東京造形大学客員教授も務めるヤマザキマリさんです。実際、14歳に初めて1人でヨーロッパを旅してから今まで、国境のない生き方を続けてきました。そのマリさんと一緒に世界を渡り歩いてきた息子・デルスさんですが、ポルトガルから移り住んだアメリカの環境には苦労させられたそうで――。

息子が中学校を卒業するタイミングでポルトガルを離れて

夫が突然アメリカのシカゴ大学で研究をしたい、と言い出した時、私はかなり戸惑った。

確かに我々家族はそれまでに何ヶ国も転々としてきたし、国境を越えた引っ越しには慣れてはいたけれど、当時暮らしていたポルトガルのリスボンはあまりに心地良く、地元の中学校でたくさんの友達と毎日楽しそうに和気あいあいやっている息子を見ていると、なかなか夫の提案に乗る気持ちにはなれなかった。

最終的に夫は単身でシカゴ暮らしを始め、我々はそれから2年後、息子が中学校を卒業するタイミングでポルトガルを離れることにした。

新しい住まいはダウンタウンにある地上60階建て高層マンションの50階、窓からはミシガン湖と高層ビル群のスカイラインが一望でき、それまでのリスボンの質素な木造作りの家との激しいギャップに私も息子もたじろいだ。

そんな生活環境もさることながら、我々家族が一番衝撃を受けたのは、息子が通うことになった学校である。