まだ四十代だった初代玉男師匠の最初の直弟子となった玉男さんに、師匠は初め吉田玉若(たまわか)と命名する。しかしそれから数十日後に師匠の気が変わって、吉田玉女(たまめ)に改名となる。

――名前を頂いてそのつもりでいたら、「やっぱり玉若やめておくわ。玉女にする」って。そしてポツンと「早く女から男になれるようにな」って。師匠の真意は今もってわかりませんが、何だかありがたい気がしました。

それでずっと師匠の人形の足を持たしてもろたんですが、うちの師匠の人形は真ん中でじっと動かないのが多いんで、僕は足持って何十分もただじっとしてる。すると腕がすごく痛くなって、しまいにはしびれてきます。

他の足遣いを見てると、動きが多くて結構いろいろ覚えられる。それで師匠に、「もっと動き回る足を遣いたいです」と言ったら、「動く足はいつでも遣えんねん」って。ほんまかなぁ、と思いましたけど、動かないでいると他の人形の動きや位置関係、全体の様子を見ることができる。それで動く足を遣う段になったら、すんなり対応できましたからね。

師匠にはまた、「他の人間が注意されてる時は、よく聞いておけよ」とも言われました。これもいい勉強になりましたね。

入門して苦しいことばかりやなく、楽しいこともありました。中学は卒業しましたから修学旅行で東京へ行きましたけど、僕はもうその前に公演で東京へ連れて行ってもらってましたから、みんなにそれをずいぶん羨ましがられて、自慢でもありました。海外公演にも結構若い時分から行けてますから、それは楽しかったです。

<後編につづく

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