「吉右衛門兄さん亡き後は、微力ながら、「播磨屋」を僕と弟でしっかり守っていかなきゃいけないな、と」(撮影:岡本隆史)
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が聞く。第22回は2023年、重要無形文化財「歌舞伎脇役」の保持者として各個認定された(人間国宝)、歌舞伎役者の中村歌六さん。還暦を迎えた時、屋号を「播磨屋」に戻し、自分と弟でしっかり守っていくことを決意したそうで――(撮影:岡本隆史)

<前編よりつづく

「播磨屋」を守っていかねば

歌舞伎役者にはそれぞれ屋号があるが、歌六さんには「播磨屋」から一時「萬屋」となり、平成22年9月、また「播磨屋」に戻るという経緯があった。

――2つ目の転機はその播磨屋に戻ったことかなっていう気がします。2年前に亡くなった吉右衛門兄さんとはそこから密度が断然濃くなりましたから。

三代目歌六という僕の曽祖父の本名は波野ですが、その奥さんの小川かめは芝居茶屋を経営していた萬屋吉右衛門の一人娘。結婚すると小川の家が途絶えてしまうことから、長男の初代吉右衛門には波野姓、次男の三代目時蔵には小川姓を名乗らせたんですね。その小川家一門が昭和46年に屋号を播磨屋から萬屋に変えたことで、僕も萬屋に。

その後、平成22年に僕が還暦を迎えた時に、生まれながらの屋号の播磨屋に戻そうかなという気になって、弟の又五郎と一緒に戻りました。吉右衛門兄さん亡き後は、微力ながら、「播磨屋」を僕と弟でしっかり守っていかなきゃいけないな、と。「萬屋」のほうは時蔵さん、錦之助くん、獅童くんたちがちゃんと守ってくれています。