祖父の三世中村時蔵と幼少期の歌六さん(昭和30年11月歌舞伎『女暫』)(写真提供◎松竹)

播磨屋復帰以後、吉右衛門・歌六ががっぷり四つに組んだ名舞台が続く。まず『伊賀越道中双六』「沼津」では呉服屋十兵衛と人足(にんそく)の平作。同「岡崎」では唐木政右衛門と山田幸兵衛。これなどは二人が同格の主役と言える。

――まぁそうですね。「沼津」は前に巡業で吉右衛門兄さんとやってますが、播磨屋に復した時に、心新たに9月の秀山祭で演じました。秀山は初代吉右衛門さんの俳名で、そのすぐれた芸を顕彰する興行なんです。

ですから、人間国宝に認定されて迎えた今年9月の秀山祭の「金閣寺」の大膳役も新たな出発の気持ちで心してつとめましたので、第3の転機と思うでしょうけど、まだ僕は発展途上中。この先にどう変わるか、可能性を残しておきたいので、第2.5くらいにしておいていただきたい。(笑)

しかしまぁ、吉右衛門兄さんとはこの十年ばかりの間、よくご一緒しました。『松浦の太鼓』ならあちらが松浦の殿様で、僕が俳諧師の宝井其角(きかく)。『石切梶原』なら、あちらが梶原で僕は六郎太夫。『ひらかな盛衰記』「逆櫓(さかろ)」ならあちらは樋口で僕は舅の権四郎。僕のほうが年下なのに、いつも兄さんが若いほうの役。

一番心に残っている舞台は、『鬼平犯科帳』の「大川の隠居」ですね。新橋演舞場で、下座(黒御簾音楽)が入って歌舞伎仕立てですよ。僕が年寄りの盗人で、最後に鬼平と二人で酒飲みながらしみじみと語り合う。印象深い芝居でしたね。