(撮影:本社写真部/撮影協力:桜商店603)

 

 

「そもそもここに出入りしていること、アヤトくんのお母さんは知っているんですか。未成年略取だとか騒がれたら、大変ですよ」

 粗忽者の時次郎に、そういった根回しができるとは思えない。子供を取り巻く環境は、昔とは違うのだ。野良猫に餌づけをするような感覚で、手を出してもらっては困る。

「ごちゃごちゃうるせぇオバサンだなぁ」

 目の前が、ふいに陰った。ひかりの背後に、体格のいい求が立っている。かと思うと、階段下の狭いスペースに身をすべり込ませてきた。

「あっ!」

と言う間もなく、手つかずのままだったもう一つのいなり寿司が消えた。求がもごもごと口を動かしている。目を見張るべき早業だった。

「そりゃあ子供嫌いのアンタから見りゃ、ガキが餓えてようがなんだろうが、どうでもいいんだろうけどさ」

「そんなことは、言ってませんけど」

 むっとして、言い返す。求がとげとげしいのはいつものことだが、これは拡大解釈が過ぎる。

「今どきは子供の保護者も神経質になっていますから、もっと常識のある行動をですね――」

「アヤ坊の母ちゃん、知ってるよな?」

 しかし求は、ろくすっぽ聞いていない。明日美の熱弁を途中で遮り、ひかりに顔を振り向けた。

「そうね。一度、挨拶とお礼に来てくれたわね」

 頷いてから、ひかりは短くなった煙草を足元に落として踏み潰す。その一連の動作に、もはやぎょっとしなくなってしまった。慣れとは、恐ろしいものだ。

「ちょうどコロナ禍で、休業要請が出まくってるころでね。バイトも減ってたんでしょ。お代なんか結構よと言ってあげたら、ボロボロと泣きだしちゃって。よっぽど追い詰められていたんでしょうね」

 保護者はすでに、丸め込まれている。明日美は「うっ」と言葉に詰まってから、次なる反論をひねり出した。

「でもそれなら、ちゃんとした団体がやっている子ども食堂がありますよ。うちみたいな居酒屋よりも、安心して子供を出入りさせられるんじゃないですか?」

「は、なにそれ寝言? アンタ、子ども食堂のことなんかなんも知らねぇだろ」

 とたんに求が、声を荒らげる。威嚇するように、机にドンと手をついた。

「この近辺にも何軒かあって、精一杯頑張ってるけどさ。せいぜい月に一度か二度しかやってねぇ。全部ハシゴしてやっと、週一回飯にありつけるって感じだ。アンタはそれで、腹が減らねぇってのか?」

 そう言われると、ぐうの音も出ない。ニュースなどで度々その名を耳にしているが、子ども食堂の活動について、調べてみようと思ったことすらなかった。

「だ、だけど、今の子はアレルギーだって怖いし――」

 論点がずれたことは、自分でも分かっている。決まりが悪くて、求の意見を素直に受け入れることができないだけ。だから、声が尻すぼまりになってゆく。

「問題ない。アヤ坊に『まねき猫』を教えたのは、小学校の保健師だ。もともと時さんの飲み友達でさ、低体重の子供を見つけたらここを紹介してもらってる。親に聞かなくたって、アレルギーくらい把握できてんだよ」

 アヤトが「まねき猫」に通うようになったきっかけが、ずっと謎だった。まさか保健師まで巻き込んだ、紹介システムが構築されていたとは。

「それでもつべこべ言ってくる奴がいたら、飯の食えねぇ子供に食わしてやって、なにが悪いんだって言ってやるよ。あとはなんだ、誰もいない時間帯にアヤ坊が来るのが悪いってか」

 肉体派な見かけながら、求は案外弁が立つ。明日美が挙げた懸念事項を、一つずつ潰してゆく。

「だったら簡単だ。アンタがここの二階に住みゃあいい」

「はっ?」

 喉の奥から、思いのほか険しい声が洩れた。求はまったく意に介さず、先を続ける。