さらに衝撃を受ける出来事がありました。母がデイサービスに行っている間に部屋を片づけていたら、古いノートを発見。そこには「娘なんて産まなければよかった」「面倒みてるからって偉そうに」といった私への罵詈雑言が綴られていたのです。
私は幼い頃から母に翻弄され続けてきました。アメリカ軍の技師だった父と恋をし、未婚のまま私を産んだため、私は父を知らずに育った。母は生活のためにスナックを開いて働いていたけれど、恋人ができると家に帰ってこない日もあって。
私の世話をしてくれたのは、同居していた祖母です。躾に厳しく、「いい教育を受けて、男に頼らず、自立した女性になりなさい」と幼い頃から祖母に言われていた私は、15歳でモデルの仕事を始めて一家を支えました。19歳で家も建てた。母のために頑張ってきたのに、感謝されるどころか恨まれていたなんて、ショックでした。
そのうえ、私が稼いだお金の管理を長年母に任せていたのですが、気づいた時には残金がほぼゼロに。恋多き母は、なんと78歳の時に家を出て3年間恋人と同棲していました。その男に貢いでしまったのか、後に部屋から大量に出てきたハイブランドのバッグや毛皮となって消えたのか……。
2年間の在宅介護で身も心も限界に達し、その後は介護付き高齢者住宅に3年、特別養護老人ホームに2年預けることに。そして2016年、母は89歳で旅立ちました。
好き勝手に生きた母でしたが、ただ一つ弁護すると、昭和2年生まれの母は戦争によって青春を奪われた世代。その苦労と虚しさが人生を狂わせたのかもしれません。