「捨てるなら、私が死んでからにして!」

1カ月ほど前のことだ。我が家の斜め向かいに住んでいた一人暮らしのおばあさんが89歳でこの世を去った。後日、遠方に住む息子さんが依頼したという遺品整理業者がやって来て、荷物の運び出しをおこなっていたのだが……。

田舎の家というのは無駄に広い。首都圏のマンションと違って、いくらでもものを溜め込むことができる。

『寿命が尽きるか、金が尽きるか、それが問題だ』(著:こかじさら/WAVE出版)

このお宅も初日にやって来た大型トラック3台では積みきれなかったのだろう。翌日、もう1台がやって来て追加の作業をおこなっていた。

仮に、1台20万円として、4台で80万円也。我が家の建坪は、その平屋のお宅の倍以上ある。

ということは……。

ものを捨てるために使うお金ほど空しいものはない。ため息どころか、それこそちゃぶ台をひっくり返したくなる。

「廃棄処分にもお金が掛かるんだから、必要ないものは溜め込まないの」

いくら言っても、「それがどうしたの?」とばかりに、老母は全く以て理解しようとしない。それどころか、物置に押し込まれているガタついた椅子や傷んで使えなくなった簾(すだれ)などを市のゴミ処理場に車で持って行こうとすると、

「捨てるなら、私が死んでからにして!」

鬼の形相で立ちはだかってくる。

「だから、一遍に捨てるとお金が掛かるから、少しずつ少しずつ自力で処分しようとしているのに、何でそれがわからないの!」

腹立たしさから思わず声を荒らげる。

「もったいない、もったいない」とこれ見よがしに言いながら、毎日のように大量消費、大量廃棄を続けている老母。

彼女が溜め込んだプラスチック容器とペットボトルでいっぱいになったゴミ袋を、隔週の月曜日、ゴミ集積場に持って行くたびに、憤りを伴った苛立ちが、束になって襲いかかってくるのである。