「フェスティヴ・スピリット」の意味

さて、前置きが長くなったが、わたしはいま、そのミンス・パイを大量に作っている。というのも、近所のコミュニティ・センターが育児支援のフードバンク(育児に必要なものを無償で提供している)を始め、わたしもそこでボランティアをしているのだが、12月に入ってから訪れる人々に手作りミンス・パイをプレゼントしているのだ。

これぞ「フェスティヴ・スピリット」というやつである。この言葉はコックニー英語でもなんでもなく、クリスマスの時期になると誰もが使う言葉だ。が、日本語の定訳が「お祭り気分」になっているのを知り、多少の違和感をおぼえた。

なぜなら、クリスマスの「フェスティヴ・スピリット」には違う意味もあるように思えるからだ。確かに、職場のクリスマス・パーティーで酔って踊って盛り上がる(物価高のいま、こういう羽振りのいい会社は減っているようだが)のも「フェスティヴ・スピリット」だが、このお祝いの時期にさまざまな事情で苦境に立たされている人々に手を差し伸べることもまた「フェスティヴ・スピリット」だ。

むかし、貧困地域の無料託児所で働いていたことがあった。そこは貧困支援の慈善施設の中にあり、クリスマスの時期になると、地元のスーパーや商店、カフェなどからたくさんミンス・パイの寄付が届いた。寄付には、「あなたたちがフェスティヴ・スピリットで満たされますように」「フェスティヴ・スピリットを分かち合いましょう」というようなカードが必ず添えられていた。

寄付で貰ったミンス・パイは施設の利用者に提供され、残りが少なくなると、託児所の保育士と子どもたちがミンス・パイを作って補充した。食堂のスタッフたちがキッチンの大きなオーブンを使わせてくれたので、一度にたくさん焼くことができた。小さい子どもたちが作るものなので、不格好だったり、ピューレが外にはみ出して焦げていたりしたが、施設に来た大人たちはみんな喜んでそれを食べた。「おいしい」「ありがとう」と言われて、子どもたちは(ものすごい悪ガキでさえ)照れくさそうに笑っていた。わたしにとって、クリスマスの「フェスティヴ・スピリット」とはあの光景そのものだった。