イギリス在住のブレイディみかこさんが『婦人公論』で連載している好評エッセイ「転がる珠玉のように」。Webオリジナルでお送りする43.5回は「フェスティヴ・スピリット」。連合いが使うコックニー英語には独特の言い回しがある。「ミンス・パイ」が持つ別の意味が今と過去を繋ぐことに――。

コックニー英語は独特

連合いが生粋のコックニー英語をしゃべることは以前にも書いた。本人は「俺の訛りは薄れた」と考えているらしいが、たまにわたしの携帯に自分が残したメッセージを聞いたりすると、自分の訛りにショックを受けるらしく「それは俺じゃない」と言い張る。

そんな独特の訛りを持つコックニー英語には独特の言い回しがあり、ライム(韻)に拘るあたりがちょっとラップに似ている。例えば、「ディッキー・バード」という表現がある。どんな種類の鳥なんだ、と思うかもしれないが、これは「ワード」という意味である。「何のディッキー・バードも戻ってきてない」と話す人がいても、その人は伝書鳩か何かの帰りを待っているわけではない。何の言葉(つまり返事)も返ってきていない、ということなのだ。「ルビー・マリー」というのもある。パブを出て「これからルビー・マリーでもどう?」と言われたら、それは別のパブの名前を意味しているのではない。「カリー」を食べに行こうと言われているのだ。

同様のものに、「ミンス・パイ」というのがある。このパイは架空のものではなく、クリスマスの時期に食べる伝統的なお菓子で、ドライフルーツで作ったミンス・ミートと呼ばれるピューレを中に入れた小さな丸いパイだ。が、なぜかこれが「アイ」という意味になる。「君のかわいいミンス・パイ」と言われたら目を褒められているわけだが、うちの息子は子どもの頃、これがコックニー独自の表現とは知らず、小学校のクリスマス・ランチで両目にミンス・パイを当ててふざけてみたらしいが、まったく笑いがとれなかったと言っていた。