2018年に放送されたNHK連続テレビ小説『まんぷく』がNHK BSとBSプレミアム4Kで再放送され、再び話題となっています。『まんぷく』のヒロイン・福子のモデルとなった、安藤仁子さんは一体どのような人物だったのでしょうか。一方、安藤百福発明記念館横浜で館長を務めた筒井之隆さんが、親族らへのインタビューや手帳や日記から明らかになった安藤さんの人物像を紹介するのが当連載。今回のテーマは「家族 ~両親と三人姉妹」です。
両親と三人姉妹
安藤仁子は1917(大正6)年8月16日、大阪市北区富田町(現在の西天満三・五丁目の一部)の商家に生まれました。
父・重信は福島県の出身で、二本松市にある「二本松神社」の宮司を継ぐ家柄です。神主の仕事は世襲制で代々長男が後を継ぎました。次男だった重信は早稲田大学を卒業後、宗像家に婿養子に出されます。ところが、まかされた事業がうまくいかず、散財が過ぎたため、離縁されてしまいます。その後、再起をかけて大阪に出てきて、新しい事業を始めます。
母・須磨は旧鳥取藩士の家に生まれました。家を継ぐために婿養子を迎えますが、離縁します。その後、故郷の鳥取を離れ、学校の先生になるという夢を捨てきれず、母・みちのを伴って大阪に出てきます。
そこで二人は出会い、結婚。やがて、娘が三人生まれました。
長女の晃江(てるえ)は仁子より九歳上。色白の美人でやさしく華やかな性格だったため、男の人にたいへん人気がありました。
次女の澪子(みおこ)は仁子より七歳上。姉とは違って控えめな性格でしたが、何事にもていねいで、しっかりした女性でした。
仁子は歳の離れた末っ子だったため、家族から可愛がられて育ちました。甘えっ子のところがありましたが、人には思いやりの深い娘でした。
三人娘はそれぞれ個性は違いますが、仲のいい姉妹として育ったのです。