人前では決して弱さを見せない気丈な母

母・須磨の実家は、代々、鳥取藩主池田家に仕えた藩士でした。参勤交代では殿様のお供をしてたびたび江戸に上りました。「私は武士の娘です」というのが須磨の口ぐせで、家族はいつも「どうせ足軽でしょ」と笑いながら冷やかすのでした。

重信には一時期、東京にお妾(めかけ)さんがいました。須磨は重信とお妾さんの二人のために二晩寝ないで白大島の着物を縫い上げ、上京する重信に手渡します。重信が持ち帰った東京土産はその場で捨てました。

須磨は明治生まれの女らしく、人前では決して弱さを見せない気丈な人でした。なにが起こっても屏風のように落ち着いて、でんと構えていたそうです。選挙に行く時は必ず正装に身を正しました。晩年になってからも、化粧し、紋付羽織を着て、白いハンカチを手に持ち、杖をついて投票所に行きました。

須磨は仁子が百福と結婚した後も居を共にして、なにかと苦労の多かった仁子を精神的に支えます。須磨の教えにはいろいろありましたが、なかでも、繰り返し言っていたのが次の二つの言葉です。

「言いたいことがあったら一晩寝てから、明日言いなさい」「クジラのように物事をすべて呑み込んでしまいなさい」と、我慢と忍耐を強く仁子にさとしました。武士道に通じるような須磨の教えは、いつしかそれがそのまま、仁子の口ぐせになったのです。

須磨は英語が堪能でした。三人の娘たちは外交官に嫁がせたかったようです。しかし思うようにはいきません。三人はそれぞれの伴侶を得て、三者三様、違う人生を歩むことになります。

本稿は、『チキンラーメンの女房 実録安藤仁子』(安藤百福発明記念館編、中央公論新社刊)の一部を再編集したものです。


チキンラーメンの女房 実録 安藤仁子』(著:安藤百福発明記念館/中央公論新社)

NHK連続テレビ小説『まんぷく』のヒロイン・福子のモデルとなった、日清食品創業者・安藤百福の妻であり、現日清食品ホールディングスCEO・安藤宏基の母、安藤仁子とは、どういう人物だったのか?

幾度もどん底を経験しながら、夫とともに「敗者復活」し、明るく前向きに生きた彼女のその人生に、さまざまな悩みに向き合う人たちへの答えやヒントがある――寒空のなかの1杯のラーメンのように、元気が沸き、温かい気持ちになる1冊。