偉大なご先祖

仁子には生涯誇りにしていたことがありました。

父重信の宮司の家系をさかのぼると、二人の偉大なご先祖にたどりつくのです。

一人は、安積艮斎(あさかごんさい)です。

1791(寛政3)年、安積国造神社(福島県郡山市)の宮司の三男に生まれ、学問を志して十七歳で江戸に上がります。主に儒学、朱子学をおさめ、いったん、二本松藩に仕えますが再び江戸に上がり、幕府の最高学府「昌平坂学問所」の教授になります。

ペリー提督の黒船が来航した際、アメリカ大統領の国書の翻訳にあたりました。同じ年、ロシアのプチャーチンが来航した際にも国書を翻訳し、幕府の返書も書きました。開国を迫る列強に対して堂々とわたり合い、幕府の命運を支えたのです。幕末にかけて艮斎に学んだ門人は、吉田松陰、小栗上野介、高杉晋作、岩崎弥太郎など、実に二千人を超えました。

「山水を愛し、富貴や利達を見ても浮雲のようにしか思わない、まことに大学者というべき人」(安積艮斎先生銅像碑文= 安積国造神社)と徳富蘇峰も讃えているほどの人物です。

ちなみに、艮斎の本名は重信。仁子の父と同じです。偉大な祖先にあやかってつけられた名前なのでしょう。また、儒学を教えた艮斎がもっとも大切にした徳は「仁」でした。「仁以って本と為し」(『艮斎文略』続・巻二)と書いています。「仁」とは、他人と親しみ、思いやりの心を持って共に生きることです。仁子と名づけた重信の親心もここから来ているのでしょうか。