ホテルでの勤務
仁子は女学校を卒業すると両親と一緒に、京都・醍醐の有元家に身を寄せました。貧乏画家の有元家の暮らし向きも決して楽ではなかったのですが、大阪十三での極貧の生活にくらべたら、はるかにましでした。
京都に着いた翌日、仁子は知り合いに紹介されて、京都市東山区三条の都ホテル(現・ウェスティン都ホテル京都)の常務に会いに行きました。ホテルで働きたいと申し出たのです。当時、電話交換手の資格があって英語の堪能な女性は少なく、その場で入社が決まりました。さっそく翌日から勤務が始まりました。
仁子は「泊まり込みだから、大助かり」と夜勤を喜んでいます。
有元家に世話になっている手前もあり、できるだけ負担をかけたくないという気持ちがあったのでしょう。
電話交換手が勤務する電話室はホテルの二階にありました。関係者以外は立ち入り禁止です。女性の交換手は仁子を含めて五人いました。他には、電気室で働く整備士の男性が一人と、廊下の向かいにある散髪屋のYさんという男性がいるだけです。
「だからロマンスはなし。交換手の仲間がそれぞれ自分の彼氏の話をするのを聞いているだけ」(仁子の残した手帳)
華やかなホテルで働けるという喜びで、年頃の仁子にも多少の期待感があったようですが、裏切られてしまったのです。仁子は異性関係には潔癖で、引っ込み思案なところがありました。実はホテルで働く何人かの男性から思いを寄せられていたのですが、仁子は気が付きません。
電気室の整備士はホテルの購買部が仕入れた缶詰などを手に入れてきては、分けてくれるのです。仁子はこれを家に持ち帰り、囲炉裏にくべて温め、須磨(母)に食べさせました。もう一人、ホテルで働く男性が思いを寄せていて、求婚されましたが、気に入らず断りました。その男性は失意の中で自殺を図りましたが、未遂に終わりました。