強く生きていくための心の支え
もう一人は、朝河貫一(あさかわかんいち)です。
父重信の母方のいとこに当たります。
1873(明治6)年、旧二本松藩士の子として生まれました。東京専門学校(現在の早稲田大学)を出て、単身アメリカに渡り、ダートマス大学、イェール大学の大学院を卒業、のちに日本人として初めてイェール大学教授に就任します。世界的な歴史学者です。
日露戦争で、日本がバルチック艦隊を破った後、アメリカ・ポーツマスで講和条約が調印されました。日露の間に入って調停したのは、ルーズベルト大統領でした。その時、日本政府のオブザーバーとして参加した朝河は、日本の戦う力がすでに限界にきていることを知っており、賠償金や領土の獲得ではなく、人道的な解決をするよう進言したのです。
また、その後、太平洋戦争の日米開戦を避けるため、ルーズベルト大統領から昭和天皇にあてる親書の草案を自ら書き上げ、米国政府に働きかけました。努力は実りませんでしたが、朝河の一貫した平和主義は世界から注目され、「最後の日本人」と評されました。
仁子は、このような偉人の直系の血筋にあたることを誇りにしていました。
また、「ならぬことはならぬ」という会津藩に伝わる教えも、仁子の口ぐせの一つでした。
2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」で主人公の新島八重を演じた綾瀬はるかが、たびたび口にして有名になった言葉です。仁子も強く生きていくための心の支えとして、この教えを生涯大切にしたのです。
※本稿は、『チキンラーメンの女房 実録 安藤仁子』(安藤百福発明記念館編、中央公論新社刊)の一部を再編集したものです。
『チキンラーメンの女房 実録 安藤仁子』(著:安藤百福発明記念館/中央公論新社)
NHK連続テレビ小説『まんぷく』のヒロイン・福子のモデルとなった、日清食品創業者・安藤百福の妻であり、現日清食品ホールディングスCEO・安藤宏基の母、安藤仁子とは、どういう人物だったのか?
幾度もどん底を経験しながら、夫とともに「敗者復活」し、明るく前向きに生きた彼女のその人生に、さまざまな悩みに向き合う人たちへの答えやヒントがある――寒空のなかの1杯のラーメンのように、元気が沸き、温かい気持ちになる1冊。