私はいわゆる《本好きな小説家志望の少女》ではありませんでした。生まれつきの病気がなかったら、スポーツをやっていたかもしれないし、海外に出ていたかもしれないし、ごく普通の事務員だったかもしれません。小説家にだけは絶対にならなかったと思います。それは確かです。理由はただ一つ。ガラじゃないからです。
20歳を過ぎて、暇を持て余したあげくコバルト文庫の新人賞に投稿を始めて、でも最初からずっと自分が小説家に向いてないことはわかっていました。向いていない人間が仕方なく小説を書いてさっくり新人賞を取ってしまった――そんなストーリーを実現できたらカッコよかったはずなのに、さっくりどころかズブズブどっぷり首まで底なし沼に嵌まって、いつのまにか20年が過ぎていました。
どうしてそこまで書き続けられたのかとよく聞かれます。挫折をやり過ごす方法をいくつも集めて、その一つは音楽でした。雌伏の時代に折々勇気づけていただいた曲が、美輪明宏さんの『金色の星』です。いつの日か……と仰ぎ見ていた金色の星が芥川賞だったとわかってさすがにびっくりしております。
老障介護を続ける両親の元、不自由ながらも好き自由に生きてきました。標準的なライフステージの変化の楽しみを両親に味わわせてあげることはできませんでしたけれど、滅多にはない大金星での帳尻合わせが間に合って、本当に良かったと思っています。
ところで、冒頭の小説構想を母に聞かせましたら、「パパに悪いからやめてちょうだい」と返ってきました。あらあら。