私は1979年の9月に生まれました。七つ上の姉がいます。父は脱サラ後に起業した経営者で、母は専業主婦。姉も私も生まれつき筋力が弱く、ひょろひょろとした身体つきで、難病の先天性ミオパチー(ミオチュブラー・ミオパチー)と診断されていました。歩いて話すことのできた頃の姉との記憶は多くありません。
1985年――日航機墜落事故という大惨事の起きた年は、我が家においても重大な転換点でした。この年から始まる姉の苦難のことを抜きにして、私の44年間を語ることはできないと思うのです。
ある日のこと幼稚園から帰ろうとすると父の会社の人の車で伯母が迎えに来ていました。風邪をこじらせていた姉が入院した、と。病院に向かう車の中で姉の心臓は止まっていたそうです。
ちょっと面白い話をしますね。その頃、私の家では庭にプールを造る工事をしていました。病院に担ぎ込まれて姉は一命を取り留めたものの、意識がなかなか戻らなかったため、お宮さんに「視て」もらったところ、ちょうど土地の神の居所がプールの場所と重なっているんだと言うんです。神様が怒ってるんだと。
それで父の友人が、コンクリートを流し込んで固めたばかりのプールの底にドリルでガッガッと穴をあけたら、時同じくして姉の意識が戻りました。私は偶然だと思います。ちなみにプールは念入りに地鎮したのち完成させました。