(撮影:本社写真部/撮影協力:桜商店603)

 

 

 我ながら、ほだされていると思う。「まねき猫」を残すのも手伝うのも、半ば強制されてのことで嫌々だったはずなのに、進んで二階に暮らしはじめるなんて。

 笹塚のアパートを解約していないのがせめてもの抵抗ではあるけれど、お金がもったいないし、どうしたものかと迷っている。

「他の宿題は?」

「もう全部終わっちゃった」

 あとは絵画を残すのみ。ダブルワークをしている母親のユリエには、時間的にも金銭的にも余裕がない。どこか近場で楽しめるところはないだろうかと、明日美はスマホを手に取った。

「えっ、九時?」

 ホーム画面の表示を見たとたん、声が裏返る。まさか、アラームをかけ忘れて寝てしまったのか。

「大変!」

 明日美は膝にかかっていたタオルケットを蹴り上げて、立ち上がった。

 

 コールセンターのシフトは午前十一時から。九時起きでも遅刻をすることはないが、今日は違う。火曜日で、しかも時次郎の転院日だ。

 急性期病院から、回復期リハビリテーション病院へ。つまり病状が落ち着き、命の危険は去ったと判断されたのだろう。

 リハビリをしても、左半身の痺れは取れることがないと言われている。あとは、脳機能がどこまで戻るかだろうか。口からものが食べられなければ、胃ろうをすすめられるかもしれない。

 ともあれそれは、転院してからのこと。迎えの車は、十時には来るという。その前に退院の手続きがあり、二十分前には来院するよう言われていたのに。

「なんで、目覚ましかけ忘れるかなぁ」

 おざなりに顔を洗い、化粧水を叩き込む。着替えを済ませて階下に向かうと、アヤトはすでにリュックを傍らに置き、ホッピーケースの上にちょこんと座っていた。

「ごめん。オバちゃん出かけるけど、アヤトくんどうする?」

「じゃあ、図書館にでも行こうかな」

「お昼は?」

 尋ねると、アヤトはリュックから三割引きのシールが貼られたメロンパンの袋を取り出した。

 それだけじゃ、いかにも物足りない。明日美は時計を睨みつつ、厨房に入る。

「ちょっと待って、簡単なもの作るから」

 ぐずぐずしていると間に合わないが、アヤトの胃袋を放っておけない。タクシーを捕まえればいいと割り切って、業務用の冷蔵庫を開ける。

 さて、どうしたものか。外気温が高いから、生ものを持たせるわけにはいかないし――。

「あ、そうだ」

 ふと思いつき、明日美は大振りの保存容器を手に取った。

 中身は甘辛く煮た油揚げだ。「ちょっと時間が経って食感落ちちゃってるけど、よかったら食べて」とひかりに言われていた。

 稲荷ずしならすぐできそうだ。でも肝心のご飯が炊けていない。だったらあれだと、冷凍庫の引き出しに手をかける。

 休みの日に手軽に食べられるようにと、冷凍チャーハンを買ってあった。これをチンして、詰めてしまおう。

 髪を振り乱しながら、作業にかかる。自分が食べる分も作っておこうと手を動かしていたら、思いのほかたくさんできた。

 アヤト用に四つ取り分けて保存容器に詰め、あとはお皿にラップをかけ冷蔵庫に入れておく。洗い物は――帰ってからでいいか。

 そう割り切って、手を洗う。そろそろタイムリミットだ。

「はい、これ持ってって。一緒に出よう」

 保冷剤と共に保存容器をハンカチに包み、アヤトのリュックに入れてやった。ついでにカウンターに置いてある、自分のバッグの中身も検める。

 印鑑に、時次郎の健康保険証と各種身分証。入院費用はクレジットカードで支払えるはずだから、まとまった現金はなくても大丈夫。

 よし、行こう――と顔を上げたのと、店舗のシャッターがカタカタと揺れ、外から開けられるのが同時だった。

「えっ!」

 明日美は目を見開く。ガラス戸越しに、見慣れた顔が並んでいた。