紋章にとっての大きな災難

良き印であるがゆえに、戦国武将の蜂須賀小六(はちすかころく)は卍を家紋としているし、同じ紋を用いた津軽藩の旗印は、その居城のあった青森県弘前市の市章として現在まで引き継がれている。

欧州では「独立」を象徴する紋章として用いられた時期もあった。たとえばロシア二月革命後にケレンスキー率いる臨時政府が発行した紙幣の地紋には右まんじが45度傾けてあしらわれ、第二次世界大戦前には北欧フィンランド空軍も自らの国際標識として右まんじを採用していた。

『地図記号のひみつ』(著:今尾恵介/中央公論新社)

しかしこの紋章にとって大きな災難は、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が右まんじを「アーリア人優位・反ユダヤ主義」のシンボルとして採用したことである。

その後の彼らの所業のため、特にヨーロッパではナチスを想起させるとして使用が忌避され、戦後はほとんど使われなくなった。

現在のドイツではナチスの記章やスローガン、敬礼などの使用に対して刑法第86a条で3年以下の懲役または罰金を科している。