昭和の中期の頃、誕生日ケーキもクリスマスケーキもバタークリームだったという記憶がある。あたしはどうも、あれが好きじゃなかった。あたしは子どもの頃、洋菓子より和菓子が好きで、バタークリームより桜餅やうぐいす餅だった。それで、うちの長女の名前も、栗鹿の子からのカノコなんである。プリンやモンブランやカヌレじゃなく。
あたしにとってケーキがこの上なく好ましいものに変わったのは、誕生日に、不二家のいちごショートのホールケーキを買ってもらうようになってからだ。初めて買ってもらったときの、箱を開けたときの感想は、何といいますか、この世の喜びと栄華が凝縮したような瞬間だった。
あの頃、親がときどき買ってきたケーキ。不二家だけじゃないと思う。町のケーキ屋さんもあったはずだが、父はともかく、母の好きなのがサバランだった。……と思い出していて思い当たった。サバランだった。あれに似てるんですよ、この緑のケーキが。
サバラン、生地が洋酒でびしょびしょにしみていた。そしてクリームがどっさり載っていた。緑のケーキほど重たい生地じゃなかったし、クリームも軽かった。サバランの変形のババというケーキが元になっているのか。……あたしが語ってるのは、サヴァランじゃなくてサバラン。ケサランパサランの親戚みたいなサバラン。板橋や巣鴨や池袋あたりの普通の町のケーキ屋によくあったサバランです。上に真っ赤なサクランボの載っている。この頃めったに見ないような気がする。
緑のケーキ、あたしは元日に空港で買って、枝元なほみに持っていった。ラジオの『飛ぶ教室』のための上京だったが、それは能登の地震で直前でキャンセルされた。それで枝元んちで、二人でケーキを食べた。
ケーキ、枝元は「すごいね」と言ってほめてくれた。「なつかしいね」とも言ってくれた。でももちろんこれだけのバタークリーム、ばくばくは食べられなかった。小さいフォークでつつきながら、話題があちこちにさまよっていった。サバランについて。すあまについて(枝元は今、すあまにハマっている)。母について。不二家について。横濱ハーバーについて。シウマイについて(枝元はハマっ子です)。昭和について。母について。父について。また母について。そして時間をかけて完食した。
若かったらぺろりと食べたかもね、そういいながら、結局完食した。食べ物というより記憶のかたまりが、この緑色の銀紙に包まれているような気がした。
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米国人の夫の看取り、20余年住んだカリフォルニアから熊本に拠点を移したあたしの新たな生活が始まった。
週1回上京し大学で教える日々は多忙を極め、愛用するのはコンビニとサイゼリヤ。自宅には愛犬と植物の鉢植え多数。そこへ猫二匹までもが加わって……。襲い来るのは台風にコロナ。老いゆく体は悲鳴をあげる。一人の暮らしの自由と寂寥、60代もいよいよ半ばの体感を、小気味よく直截に書き記す、これぞ女たちのための〈言葉の道しるべ〉。