疎開地へ
新居は大阪郊外の静かな住宅地、吹田市千里山です。ところが、日に日に空襲が激しくなり、静かなはずの千里山にまでB29爆撃機が飛来するようになりました。いよいよ危険が迫ってきました。百福、仁子、須磨の三人は知り合いを頼って、兵庫県上郡に疎開することにしたのです。長男の宏寿は、別の知人に預けられ、安全な疎開地に移っていきました。
上郡は岡山県境に近い山間の町で、千種川(ちくさがわ)の清流が山を下り、うねりながら播磨灘にそそぐという、自然の豊かな町でした。
百福は、片時もじっとしていません。炭を焼くかと思うと、簡易住宅を建てる仕事に奔走しました。事務所や工場が気になって、たびたび大阪にも出かけました。食糧難の時代でしたが、百福はどこからか食べ物を持ち帰って、家族に食べさせました。仁子と大阪へ汽車で向かう時には、缶に入れた一羽の蒸し鶏を弁当代わりにして、二人でちぎって食べました。
ある時、お世話になった井上元中将を招待することにしました。牛肉五キロと、たまたま近所でとれたシカの肉が手に入りました。これをすき焼きにしてふるまいました。戦時中ですから、大変なご馳走です。井上は食べ過ぎて腹を壊しました。夜通し布団の上で七転八倒する苦しみようでした。お礼のつもりが、とんだ災難をもたらすことになってしまったのです。
百福は川の魚を捕るためにいろいろ知恵を絞りました。
仁子の姪の冨巨代は、大阪から買い出しに行く時に、母の澪子について上郡に行き、そのまま置いて行かれることがありました。「食いぶちを減らすため」だったそうです。滞在中に、百福が川の魚を捕る様子を何度も見ています。
千種川の支流で幅三メートルほどの川が流れていました。いかにも魚が棲んでいそうな渓流です。
日本には昔から、魚を捕るための「もんどり」という仕掛けがあります。穴の開いた透明なガラス球にエサを入れて川に沈め、魚をおびき寄せます。いったん中に入った魚は、もう外に出られない仕掛けになっています。百福は大阪のエンジン工場で、自分でもんどりを作り上郡に持ち込みました。エサには米ぬかを使いました。川に沈めて川面から覗いていると、せっかく入ってきた魚がすぐに出ていくのです。どうやら穴が大き過ぎたようです。