4人はその全盛期に大納言を掴めなかった

めでたき一条朝でも、この4人が特筆されているのは、政治的能力とともに、藤原道長政権を支える要人、つまり道長与党だったことが大きいように思う。しかし実は4人はいずれもその全盛期には大納言を掴めなかったのである。

当時大納言だったのは、公任と同族の小野宮家で、従兄であり義理の叔父でもある、10歳ほど年上の藤原実資(さねすけ)。ロバート・秋山竜次さんの好演でメキメキと有名になっている、あの男だった。

実資は彼らと同等か、それ以上にデキる官人で、しかも90歳まで現役という健康体でもあった。

しかし「四納言」に数えられなかったのは、道長に批判的な立場をとっていたからとも言われている。逆に言えば、実資と同族なのに公任は早くから道長にすりよっていたわけで、実際、実資の日記『小右記(しょうゆうき)』は、道長と共に公任にもあまり好意的ではないようだ。

ちなみに実資が大納言になったのは寛弘6年(1009)で、同年には公任と斉信が権大納言になっている。

一見追いつかれたようだが、実は実資はそれ以前に8年も権大納言を務めた結果として、本来の正官である大納言にこのとき就任したのである。権大納言と大納言ではこれくらいの差があるらしい。そして大納言の定員は1人なので、実資は四納言の頭を押さえ続けることになる。

結局実資は、治安元年(1021)に数え65歳で右大臣に昇進するまで、約20年大納言を務めた。