堤康次郎の子どもたち

しかし、やっかいな問題があった。堤康次郎には多くの子どもがいた。そして、家庭だけでなく経営者としても家父長(かふちょう)制的な志向の持ち主であった。

堤は三男である義明(よしあき)に、将来の西武グループを担(にな)わせようと帝王教育をほどこしていた。

『関東の私鉄沿線格差: 東急 東武 小田急 京王 西武 京急 京成 相鉄』(著:小林拓矢/河出書房新社)

義明は早稲田大学に進学し、サークル「観光学会」で数々のイベントを成功させ、その仲間たちも西武鉄道に入社していった。

一方、義明には異母兄に清二(せいじ)がいた。清二は東京大学に進み、学内で日本共産党東大細胞に属した。

戦争直後の日本共産党東大細胞には、のちに日本のあらゆる世界で指導的立場になっていく人が多くいた。こうした人たちとともに、清二も社会を変革すべく闘っていた。