政治的考え方の違い

清二の日本共産党への入党は、家父長制的な企業グループの支配者である父親への反発が大きかったのだろう。しかし、結局は父のもとで働くことに。

その際に清二が入社したのは、西武百貨店である。清二は、入社の条件として社内に労働組合をつくらせることを求め、これは認められた。

堤康次郎のもと、西武鉄道は東急電鉄のようになろうと、さまざまな事業に取り組んでいた(写真提供:Photo AC)

この後、堤家の兄弟たちは義明を中心に西武グループを拡大していく。そのなかで義明と清二は考え方の違いもあり、西武グループと西武流通グループに分かれていった。

西武グループは、堤康次郎以来の「土地」を重視する経営方針を貫(つらぬ)き、鉄道事業のかたわら、各地のゴルフ場やリゾート開発を行なっていくが、沿線の宅地開発にはそれほど力を入れていなかった。

西武鉄道沿線には、住宅公団の団地が次々とできていった。その住民が西武鉄道を利用し、いまは別グループとなった西友で買い物をするというライフスタイルが生まれてくる。西友は初期には、西武鉄道沿線をターゲットに店舗網を拡大するが、やがては全国へと事業を広めていく。西武百貨店も池袋だけではなく、渋谷へと進出し、各地に店舗を設けた。

西武グループは鉄道事業と不動産事業、ホテル事業を中心にし、西武流通グループ改めセゾングループは、小売り事業や飲食事業だけではなく、クレジットカード事業に力を入れ、そのかたわらで不動産やホテルも手がける。そのあたりのちぐはぐさが、沿線としての一体感を醸成しにくい状況を引き起こしている。

それでも、西武グループでクレジットカードをつくりたいというときには、セゾンカードから発行するということになっていた。つまり、歴史的経緯から西武沿線にセゾングループのお店があるわけで、資本系列として一括にまとまっているというわけではないのだ。そうした点もあって、一体感のある沿線になっているとはいいにくいのだろう。