「郵」という字
電線の地中化率がなかなか上がらない日本であるが、電線を支える電柱のことを、私が子供の頃は誰もが「電信柱(でんしんばしら)」と呼んでいた気がする。
実態としては電力会社の電力線とNTTの通信線をどちらも架設する「共架柱」であることが多いから電柱の呼称が広がったのだろうが、明治の初期にこれが建てられ始めた頃はもっぱら電信線を担うための柱であった。
明治2年12月(西暦では1870年1月)には鉄道より早く東京―横浜間が結ばれている。電信柱の呼び名はそのあたりからではないだろうか。
電信が通じた当時、電気の作用で情報が遠くまで届くことを理解できない人が「荷物を電線にくくり付けた」などというエピソードはおそらく後付けの都市伝説だろうが、欧米ではちょうど明治維新の頃に大西洋を横断する電信線が海底に敷設された。
数千キロの彼方まで短時間で情報を送ることができる時代が幕を開けたのである。英語の電報「テレグラフ」は、まさに遠く(テレ)へ、書かれたもの(グラフ)を送れるというすばらしい機能を感動的に表現したのだろう。
電信のなかった時代、 狼煙(のろし)などの例外的な光通信を除けば、情報は「モノ」としての手紙の形で運送人に託された。江戸時代では飛脚などが知られているが、明治に入って近代的な郵便制度が整備される。
名主(なぬし)など地方の名士に屋敷の一部を提供してもらい、郵便局を兼営させるアイディアで急速に郵便事業を普及させた功績で知られるのが、今も1円切手にその肖像が描かれる前島密(まえじまひそか)だ。
消費税が8パーセントに上がってこの切手の使用頻度が高まった際、「もっとカワイイ1円切手を」という声が寄せられたらしいが、「郵便」や「切手」などの用語を彼が作ったことを考えれば、多少しかめっ面だとしても切手に残すべき人物に違いない。
ちなみに郵という字は「宿場」を意味し、転じて「宿場から宿場へ人馬で行う伝達」を指すようになったという。
「駅」も同様の意味を持つが、こちらは宿場をつないで走る交通機関ということから、後に鉄道の停車場に代わる言葉となった。これに対して、郵の字は「伝達システム」の意味から、今はもっぱら郵便の方で使われる。