電信の地位低下

地形図の記号で電信の有無をあえて区別していたのは、当時は電報が打てるかどうかが重要な問題だったからだろう。

これとは別に、郵便は扱わない電信局の記号(電鍵(でんけん)―送信機の図案化)も大正6年図式まで定められていた。その後は電信が主な郵便局で打てるようになったからなのか、「電信局」の記号は廃止されている。

郵便のみを扱う局を表す「封筒型」の記号は明治42年図式で姿を消し、それまでの〒マークが郵便のみを扱う局に用いられるようになり、これを丸で囲んだマークが「郵便電信(電話)を兼る局」として定められた。

戦後もこの2つの記号は継続するが、意味は変わって「集配郵便局」と「無集配郵便局」の区別となった。

電信の地位低下を反映したのかもしれない。この区別は、記号が大幅に整理統合された昭和40年図式で廃止されるが、集配局の位置がわかると町の中心地が推定できるから、できれば復活させてほしいところである。

ついでながら、〒を丸で囲んだマークは日本独自の記号ではあるが、台湾の一部の民間市街地図ではなぜか「銀行」に用いられている。変形したとはいえ、日本統治時代の名残だろう。

さて、電信局の記号は戦後に姿を消したが電話局の記号は意外に古い。戦前はレシーバー型をした電話交換局の記号で、明治28年図式から存在する。

戦前の1万分の1地形図では電話局以外に公衆電話にも用いられた。希少性ゆえの表示だったのだろうが、もちろん戦後は記号をいちいち付けていられないほど増えたので適用されなくなる。

電話局の記号も昭和30年図式からは、同27年(1952)に発足した日本電信電話公社のマーク(Telegraph & Telephone の二つのTを図案化)に取って代わられた。

なお、同公社が民営化された翌年の昭和61年(1986)にこの記号は廃止されている。

 

※本稿は、『地図記号のひみつ』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。


地図記号のひみつ』(著:今尾恵介/中央公論新社)

学校で習って、誰もが親しんでいる地図記号。地図記号からは、明治から令和に至る日本社会の変貌が読み取れるのだ。中学生の頃から地形図に親しんできた地図研究家が、地図記号の奥深い世界を紹介する。