いくら夫がわがままなことを言っても「そうね」と応対したし(笑)、呼吸がしづらいのでディスカッションするほどの会話はしませんでしたが、最後まで話はできました。45年一緒にいて、こんなに優しく接した時間はほかになかったんじゃないかと思います。
舞台監督だった夫とは20代半ばで結婚しましたが、8歳も上ですから、知り合ったときから男女というよりは兄妹や親子に近いような感覚がありました。私が芝居をやっていたころ、劇団を立ち上げるときも背中を押し、苦しいときは支えてくれた。
ドラマの脚本を書くようになった私にも全面協力で、なにより自由に羽ばたけ、と言ってくれました。「君が輝いていることが一番。家のことなんてしなくていい」と考える人だったので、いま私はこの仕事ができているのだと思います。
45年間、いつもひたひたと仲良かったわけではないし、いやだなあと思うところも山のようにありました。ほかの人をいいと思うこともありました。年を取ってからは「おとうさん、いつまで生きてんのよ」なんて憎まれ口をきいて、夫も「だからといって、すぐ死ねないからなあ」なんて苦笑いで返したりしていたのですけれど。(笑)
最後の日々は、このための45年だったのね、と思えるほどでしたから、その点で悔いはありません。ただ、45年そこにいた人がいなくなるのはなかなかに寂しいものです。「あるべきものがない」感覚なんでしょうか。片腕をなくしたくらいの欠落感はあります。
ただ私には仕事が待っていて、いつまでもその感傷に引っ張られていてはいけない、と思いました。