(撮影:本社写真部)

 

 

 でも二十年近くの歳月を介護に費やしてきたひかりにそう言ってもらえて、自分自身を縛っていた鎖が少し、緩んだようだ。実の親を施設に入れるという考えはべつに、見捨てることと同義じゃない。自分のために、それから時次郎のためにも、既存のサービスを利用すればいいだけなのだ。

「タクさんあたりにも、冷たいって言われそうですけど」

「そのときは、私が叱ってやる。あの人、介護どころか、自分の子供のオムツ替えもしたことないんだから。文句なんて言わせないわよ」

 そう言って、ひかりが力こぶを作る真似をする。

 心強い。時次郎が倒れてからはじめて、味方ができたような気分だ。明日美は久しぶりに、声を出して笑った。

「おおっと、いけない。とっくに日付けが変わってるのにね」

 お互いに明日も、仕事がある。少しくらい寝不足でも乗りきれたころの体力は、すでにない。ひかりは吸わず仕舞いだった煙草をパッケージに戻し、カウンターから身を起こした。

「長々と語っちゃって、悪かったわね」

「いいえ、助かりました。ありがとうございます」

 ひかりの住まいは、ここから徒歩五分ほどのアパートだ。入口のシャッターを閉めるついでに、外まで見送りに出る。

「じゃあ、おやすみ」

「はい、おやすみなさい」

 考えてみれば、一日の終わりにこう言い合える相手は、もう長いこといなかった。

 深夜になっても、赤羽の飲み屋街は明るい。行き倒れの酔客がいる通りを、ひかりは慣れた足取りで歩いてゆく。

 生ぬるい風が吹いていた。空を仰ぐと、星は一つも見えなかった。

 

       〈十四〉

 

 あくる朝八時。明日美はアヤトと共に、駄菓子屋の前に立っていた。

 赤羽小学校の、裏手にある店舗である。八月下旬になっても衰えることを知らぬ蝉の声を聞きながら、ぽつりと呟いた。

「これ、まだあったんだ」

 駄菓子屋の店舗の脇には、十円で遊べるレトロゲーム機が何台か設置されている。主にはじき系と呼ばれる、十円玉やパチンコ玉を弾いてゴールを目指すアナログゲームだ。明日美も子供のころに、何度か遊んだことがある。

「うん、得意なんだ」

 アヤトが明日美を振り仰ぎ、にっこりと笑う。右手がグーになっているのは、十円玉が握り込まれているからだ。

 自宅から「まねき猫」へと向かう道中で、拾ったという。十円玉一枚を届けられたってお巡りさんも困るだろうから、「もらっちゃいな」と言ってやった。アヤトは「やった、お菓子が買える」と、嬉しそうだった。

 今どき十円で、なにが買えるというのだろう。たしか「うまい棒」ですら、値上げをしたはずである。それでもアヤトは待ち遠しそうに、駄菓子屋が開くのを楽しみにしていた。お金が足りないと可哀想だから、明日美もこうしてついてきたのだが――。

 アヤトが向かったのは駄菓子屋の入り口ではなく、ゲーム機だった。それでやっと、意図が見えた。ゲーム機は一台ずつに、こう書かれた紙が貼られている。

 

『白カード 20円券

 赤カード 50円券

 青カード 100円券』

 

 見事ゴールにたどり着くと、駄菓子屋で使える金券が出てくるのだ。どのカードに当たるかはランダムなので分からないが、少なくとも手持ちが二倍以上の価値になるのである。

「自信があるんだね?」

「うん、任せて」

 朝一番にやって来たから、先客は一人もいない。アヤトは迷うことなく、「キャッチボール」という台に十円玉を入れた。

 野球のピッチャーやバッターのイラストが、昭和テイストで描かれた台である。さっそくスタート位置に、投入したばかりの十円玉がそのまま出てきた。

 これを弾いてレーンの上を走らせ、『ホームイン』と書かれたゴールを目指す。途中の穴に入ってしまったら、アウト。実に単純なゲームである。

 アヤトは真剣な眼差しで、十円玉を弾いてゆく。レーンは全部で六つ。バネで弾いて、穴に落とさぬよう次のレーンへと送るのだ。