ずいぶん手馴れた様子である。十円玉は、危なげなくレーンの上を進んでゆく。最終レーンに達すると、アヤトは屈めていた腰をいったん伸ばした。
「この台で、気をつけなきゃいけないのはここだけ」とのこと。
これまでのレーンは、力いっぱい弾くだけで穴に落ちずに済むようだ。しかし最終レーンともなると、難易度が違う。レーンが切れた先にあるホームインの穴は、なんとアウトの穴に両脇を固められている。
つまり力いっぱい弾いても、弱くてもアウト。ほどよい力加減を身につけないと、ホームインは狙えない。
ここが運命の分かれ目だ。アヤトは右手をズボンの尻で拭ってから、バネのレバーに手をかけた。
慎重に、レバーを弾く。十円玉がレーンに飛び出し、そして見事、ホームイン。
「やった!」と、思わず躍り上がっていた。
アヤトは特に騒ぎもせず、カコンと音がした取り出し口に手を入れる。出てきたのは、白カードだった。
「白かぁ」
十円よりは選択肢が増えたかもしれないが、それでも買えるものは限られている。アヤトはがっくりと、肩を落とした。
「待って待って、私もやりたい」
明日美は財布から取り出した百円玉を、両替機に入れた。じゃらじゃらと音を立てて、十円玉が出てくる。そのうち五枚を、アヤトに渡した。
「はい、半分こ」
「いいの?」
「アヤトのほうが、成功率が高いしね」
見ているうちに、自分でもやりたくなったのは本当だ。アヤトへのカンパは、そのついで。この程度の援助なら、現金を渡したって構わないだろう。
「じゃあ、この『キャッチボール』が一番簡単だよ」
アヤトが初心者の明日美に、勝率のいい台を譲ってくれた。自分は隣の、「カーレース」という台に移動する。名神(めいしん)高速道路を京都、兵庫方面へ移動してゆくという趣向で、仕組みは「キャッチボール」と同じ。ただし、レーンの形が少しばかり複雑になっている。
二人で横並びになって、ゲームをはじめた。
「あっ、やだ。アウトになっちゃった」
「キャッチボール」はやはり、最終レーンの力加減が難しい。慎重になりすぎて、ホームインの手前の穴に落ちてしまった。
隣ではアヤトが腰を屈め、取り出し口に手を差し入れている。
「えっ、もしかしてまたゴールしたの?」
「うん。でもまた白カードだ」
「いやいや、すごいよ」
今どきのゲーム機は苦手でも、アナログゲームは達人レベルだ。少ないお小遣いでも買えるおやつを増やしたくて、極めてしまったのかもしれない。
「ちょっと、コツを教えて。この最終レーン、レバーはどのくらいまで下げればいいの?」
「うんとね、このくらい」
「分かった」
力加減を教わって、再チャレンジ。のはずが、今度は強すぎた。ホームインを越えて、やはりアウトになってしまう。
「やだもう、なんで!」
「やった、赤カードだ!」
一方のアヤトは、またもやゴールしたらしい。赤いカードを掲げて、喜色をあらわにする。
これで、九十円分の金券が手に入った。元手が三十円だから、三倍である。
「やった、すごい!」
明日美も一緒になって飛び跳ねる。思いのほか、楽しい。
アヤトは残りの三十円も見事ゴールに入れて、さらに白カードを三枚入手した。
「百五十円になったよ。アヤトくんってば、天才!」
手放しで誉めて、アヤトの頭を撫でてやる。ちなみに明日美の十円玉は、すべてアウトになってしまった。
「よし、お菓子に換えてもらおう。これだけあれば、けっこう買えるんじゃない?」
「うん。おばちゃんも一個、食べていいよ」
「ほんと? 嬉しい」
懐かしいゲームを通して、童心に返っていた。はしゃぐ明日美のすぐ脇で、錆びついたブレーキ音が鳴る。それまで自転車が近づいていることに、気づいてもいなかった。
驚いて、振り返る。自転車に跨っているのは、八百屋のヒロシだ。配達の途中なのか、荷台には『新鮮野菜』と書かれた段ボール箱が括りつけられている。
「なにやってんだよ、お前ら」
グレーのTシャツが、ぐっしょりと汗に濡れている。首に巻いたタオルで顔を拭きながら、ヒロシは呆れたようにそう言った。
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