日本よりも進んだ国

紫式部の両親も、例の賀茂河畔の古く広い家に、子らなど皆して暮らしていたのですが、式部の母が亡くなったあと、為時は新しい妻を自邸には迎えていません。

当然、彼女らとは、「所顕はしていなかった」と考えられます。

紫式部の姉は2年前に亡くなり、兄の惟規は文章生(もんじょうのしょう)として京に残らねばなりません。

そのため、越前に赴任してゆく為時をささえる肉親は、末っ子の紫式部だけだったのです。

彼女もしかし、当初は、いやいやながら父親に付いていったのではないようです。紫式部自身、京を離れ、見知らぬ地である越前へと旅立つという高揚感と、「わたくしも、唐人たちに会えるかもしれない」という好奇心(期待感)があったかと思われます。

けだし、ひとり紫式部ばかりではなく、当時の朝廷や貴族たちのあいだでは、「日本よりも進んだ国」として、宋(唐(から))を崇(あが)める気持ちが強かったのも事実です。

※本稿は、『紫式部の言い分』(ワニブックス【PLUS】新書)の一部を再編集したものです。

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