聞いていないことまで、ヒロシはペラペラとよく喋る。昔からそうだ。自分のプライベートを、隠し立てしない。そのぶん人の秘密まで、うっかり喋ってしまう傾向にあった。
「なんで離婚したの?」
「おっ、それ聞いちゃう? 早い話が、愛想を尽かされたの。俺、家のことなぁんもしなかったし、しかも両親と同居だしさ。子育てのことでお袋と揉めたりしてたらしいんだけど、小さいことでごちゃごちゃうるせぇなと思ってた。そういうのが積もり積もって、もうアンタとはやってけないってなったわけ」
「なるほど、それはヒロシが悪いね」
「分かってるってば。俺だってね、反省もしたし後悔もしたよ。まぁ、先に立たずってやつだけど」
そう言うと、ヒロシは弱ったように笑ってみせた。元気だけが取り柄だったガキ大将も、複雑な表情をするようになったものだ。
「おじさんとおばさんは、元気?」
「元気すぎるくらいだな。仕入れや配達なんかは俺がするけど、客受けはあの二人のほうがいいから」
「長年のお馴染みが多いもんね」
ヒロシの両親とは、明日美も顔見知りだ。会えば必ず声をかけられ、騒ぎ立てられるに違いないから、この街に戻ってからもあえて八百久の前は通らないようにしている。
悪い人ではないのだが、あそこのおばさんは思い込みが激しい。自分の物差しを人にあてがって、勝手に怒ったり同情したりする。ヒロシの元妻が苦労したのは、分からぬでもない。
「そういえば、私が帰ってること言いふらさなかったんだね」
「えっ、誰が?」
「アンタ以外に誰がいるってのよ」
ヒロシのお節介は、母親譲り。彼に知られたからにはすぐに連絡が回り、かつての同級生たちが押しかけてくると思っていた。
でも現実には、そうなっていない。明日美の身辺は、その件にかぎっては静かなものだ。
「そりゃあ、タカエに怒られたからな」
「タカエに?」
ヒロシと同じく、タカエも小中の同級生だ。明日美とは一番仲がよかったし、十年前の事故の後には心配して連絡もくれた。でも細やかな気遣いが当時の明日美には負担に感じられ、すっかり音信不通になってしまっていた。
「そう、まず真っ先にタカエに知らせてやんなきゃと思って電話したら、どやしつけられて、そっとしといてやれって言われてさ。その気になったら明日美は自分から連絡してくるから、それまで待つって」
「そっか」
目頭が、ほんのりと熱を持つ。長年不義理を重ねてきて、もうとっくに見限られていると思っていたが、明日美を信じて待ってくれている友達がいた。時次郎が倒れたこともとっくに耳に入っているだろうに、十年前と同じ失敗を繰り返してはいけないと、我慢しているのだろう。
「もうちょっと気持ちが落ちついてからでいいからさ、連絡してやれよ。喜ぶから」
「その前に、めちゃくちゃ怒られそうだけど」
「怒られとけよ。お前、本当にちょっとひどいから」
人の厚意を遮断して頑なになっていたことを、「ちょっとひどい」で済ませるヒロシもお人好しだ。
ふと気づけばこんなにも、身の回りには優しさが溢れているというのに。目と耳を塞ぐようにして生きてきたせいで、ちっとも気づけなかった。
「そうだね、ごめん」
「べつに、謝らせたいわけじゃないんだけどさ」
四十二歳、まだ人生の折り返し地点かもしれないが、皆それぞれに疲れている。仕事に家庭、親の病気、自分の健康の不安まで、そりゃあ五十代になれば過去を振り返って「まだまだ若い」と言ってのけてしまえるのだろうけど、それでも確実に削り取られている。
その疲れが人を優しくも、意固地にもしてしまうのだろう。タカエの近況を、明日美は知らない。でもこの十年できっと、様々なことがあったはずだ。
「連絡、してみるよ。久し振りに、タカエの声聞きたい」
「うん、気軽にやってみろ」
少しばかり涙が滲んだが、ジャグジーの湯で顔を洗うふりをしてごまかした。目を開けると、視界はいくぶんクリアになっていた。
なにげなく、ウォータースライダーの行列に目を遣ってみる。順番がきたのか、そこにアヤトの姿はなかった。
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