〈十五〉
「おぉい、こっちこっち」
ヒロシが駐輪場で手を振っている。
日陰とはいえ、熱気のこもる午後一時。彼のTシャツは、今日も汗で変色している。
明日美だって、人のことは言えない。アヤトを連れて、炎天下を十五分ほど歩いてきた。キャップを被ってはいても、頬が焼けたように熱かった。
駄菓子屋の前でヒロシと出くわしてから、三日が経った。土曜日の、午後である。
「いやぁ、今日もあっちぃなぁ」
ヒロシが己の顔を、手で煽ぐ。Tシャツに短パン、足元はビーチサンダル。膨らました浮き輪に、腕を通して抱えている。
海のない街中でなんて格好だ、とも思うが、あながち間違ってはいない。待ち合わせていた区民施設には、温水プールがあるのだ。
「浮き輪、使えるんだね」
「そう、流れるプールがあるんだよ」
駄菓子屋のレトロゲームではしゃいでいた明日美を、ヒロシは笑った。「夏休みだってのに、行くとこないのか?」と、傍らにいたアヤトの頭も撫でた。
三食を充分に食べられない子供たちを「まねき猫」が受け入れていることは、ヒロシだって知っている。アヤトの家の事情にも、かなり通じているようだ。
しょんぼりと頷いたアヤトに、ヒロシは「よし、じゃあおっちゃんがプール連れてってやろうか」と豪快に笑いかけた。
「行きたい!」
アヤトはすぐさま乗り気になったが、赤の他人がそんなに出しゃばってもいいものか。まずは母親であるユリエに確認を取ってからと、逸る二人を宥めながら電話をかけた。
「そんな。すでにお世話になりっぱなしなのに、これ以上ご迷惑をかけるわけには――」
案の定、ユリエは遠慮の塊だった。代わってくれとジェスチャーで示すヒロシにスマホを渡すと、まるで人が変わったように姿勢を正した。
「いやいや、いいんですよ。迷惑なんてことはない。ほら俺もね、子供たちとめったに会えなくて、寂しいわけだし。えっ、お金? なに言ってんすか。区民プールなんて、小学生は百円ですよ。はい、どうぞお任せください」
その態度で、勘づいた。ヒロシはユリエを、ちょっといいなと思っている。アヤトを構うのも、下心つきなのである。
ヒロシも今は、独り身らしい。シングル同士、惹かれ合ったとしても差し支えはない。もっとも、ユリエの意向はどうだか知らないが。
そんなわけで、土曜日はプールと急遽決まった。ヒロシだけに任せておくのは不安だから、明日美も同行することにした。「まねき猫」のシフトと被ってしまうが、「そういうことなら、タクちゃんを動員するから平気よ」と、ひかりに快く送り出された。
「やった、やった! プール、プール!」
区民施設の自動ドアを、アヤトはスキップで駆け抜けてゆく。明日美たちと似たような風体の親子連れが何組か、プールの入り口に並んでいた。
「すごい、人気なんだね」
「夏休みの間は、特に混むね。ひどいと入場制限がかかるから、ほら、朝のうちに整理券もらっといた」
そう言って、ヒロシが『552』から『554』と書かれた三枚の紙を見せてくる。この前後の番号の、入場可能時刻が午後一時半となっている。
「あっ、だから今朝まで集合時間の連絡がなかったの?」
「そうそう。三人で来て、『あと四時間待ちです』って言われてもつらいだろ」
「ありがとう。手間をかけさせちゃったね」
本当は連絡がなかなか来なかったことに、無精だなぁと呆れていたのだけれど。
それは言わないことにした。
男子更衣室と女子更衣室に分かれて、着替えを済ませる。
三歳から小学生までの入場料は百円だが、大人は五百円。付き添いでも水着に着替える必要があるらしく、フィットネスジムに売っていたのを買った。
思わぬ出費である。こうなったら、お風呂目当てで入会したジムのプールも、たまに利用するしかない。今日の数時間のためだけに水着を買ったなんて、もったいなさすぎる。
「なんだ、ビキニじゃないのか」
軽くシャワーを浴びて出ると、待っていたヒロシがいかにも残念そうに眉を八の字にした。
ビキニどころか、レオタード型のワンピースですらない。上は半袖のシャツタイプ、下は太股までしっかりカバーするハーフパンツだ。
「着るわけないでしょ、馬鹿馬鹿しい」
「そうだろうけどさぁ、ちょっとは期待しちゃうじゃん。なぁ、アヤト」
「えっ、どうでもいい!」