「子」は職業ネームだった
子のつく名前だと、奈良時代なら藤原光明子(こうみょうし。光明皇后)が有名だ。
しかし彼女も実名は安宿媛(あすかべひめ)と言い、光明子は大人になってからの名前である。
もともと「子」は「孔子」や「老子」など、女性に使う字ではなく「さん」程度の意味で、わが国でも、小野妹子や中臣鎌子(藤原鎌足の前名)など男性の名前に使われていた。
ところが平安時代に入り、9世紀になると、子のつく女性名が次第に増えてくる。たとえば桓武天皇や嵯峨天皇の後宮にも、*子型の女性は数多く見られる。
しかしこれらは、妃や斎王など、高い身分の女性たちや宮廷女官など、いわば公的な立場を持つ人の職業ネームに過ぎない。つまり現代で言えば「**女史」(最近はあまり使わないが)が、そのまま名前になった感じだ。