『イワン・イリイチの死』

レフ・トルストイの中編小説『イワン・イリイチの死』は、死をリアルに描き、人間の死について深く考察した不朽の名作として知られている。

そこには、それなりの苦難の道を歩みながらも人生の成功者だった裁判官イワン・イリイチが病に冒され、死を意識して、最後には諦めて死んでいく様子が克明に描かれている。それが死を予感した人間の普遍的な姿だろう。私はずっとそう思っていた。

『イワン・イリイチの死』では、病に冒されて治療を受けるイワンは自分の苦しみをわかってくれない家族や友人に不満を抱く。時に当たり散らす。いっそのこと遊びまくろうとも思う。死が逃れようがないと意識すると、絶望にかられる。どうしても自分が死ぬことには納得がいかない。

「私が死ななくてはならないなんて、ありえないじゃないか。それはあまりにも非道なことだ」(『イワン・イリイチの死』望月哲男訳、光文社古典新訳文庫)

と考える。そして、絶望と希望の間を行ったり来たりし、医師や周囲の人の、本当の病状を悟らせまいとする嘘に苛立つ。仕事に励もうと考えたり、そして、なぜ真面目に、堅実に生きてきた自分がこんな目に遭うのだと運命を呪ったりを繰り返す。

「抵抗しても無駄だ」彼は自分に言った。「だが、せめてその理由が知りたい。だがそれも不可能だ。仮に私が誤った生き方をしてきたのなら、説明もつくだろう。だがいまさらそんなことを認めるわけにはいかない」自分の人生が法にかなった、正しい、立派な人生であったことを思い起こしながら、彼はそうつぶやいた。「そんなことは決して認めるわけにはいかないぞ」彼は唇を笑いにゆがめた――まるで誰かがその笑いに目を留めて、それにだまされることがあるかのように。「説明はない! ただ苦しみ、死んでいくだけだ……何のために?」(同)

そのような煩悶(はんもん)の後、イワン・イリイチは最後になってやっと死を受け入れる。