決して人格者ではなく欠点も多い普通の人間だった

再発が発見されてからの7か月間。体力がだんだんと失われて、生命力がなくなっていく妻は本当につらく、苦しかっただろう。しかし、抗癌剤で苦しんでいる時を除いて、妻は大きな声でいつも通りの生活を送っていた。

いつも通り、明るい声で語り、笑っていた。闘病中の人間を持つ家庭は暗くつらいものだと思うが、その中でもそれほど暗い気持ちにならずに済んだのは、妻本人がずっと泰然とし平気な顔でいたからだった。

妻の姉にとっても、兄たちにとっても、妻の危篤は寝耳に水だったようだ。きょうだいたちは、妻の癌についてはもちろん知っていたが、電話で話をしても、嘆くわけでもなく、泣き言をいうわけでもなく、いつも通り明るい声で語るので、快方に向かっていると信じていたという。

友人、知人にもくわしくは話していなかったようだ。不自然に帽子をかぶっているのを見られた人には癌治療について話していたようだが、おそらく妻は深刻な様子を見せなかっただろうから、誰もがすぐに回復すると思っていたに違いない。

私を含めて、妻は誰にも死について嘆くことなく、苦しみを口にすることなく、あっぱれな最期を迎えたのだった。

だが、それにしても、なぜ妻はこのようなあっぱれな死を迎えられたのだろう。妻は達観した人間ではなかった。悟りを開いた高僧のような人格者ではなかった。

しばしば感情的になり、あれこれ当たり散らすこともある欠点の多い普通の人間だった。それなのに、本当にあっぱれな最期を迎えた。私は妻の最期に驚嘆し、なぜ妻がこのような最期を迎えることができたのか疑問に思うばかりだった。

※本稿は『凡人のためのあっぱれな最期』(幻冬舎)の一部を再編集したものです。


凡人のためのあっぱれな最期』(著:樋口裕一/幻冬舎)

嘆かず、恨まず、泰然と
「小さき人」として生き、死んでいきたい

61歳、癌で先に逝った妻。
身近な死に、何を学ぶのか?

妻が癌で逝った。
61歳、1年あまりの闘病生活ののちの早すぎる死だった。
家族が悲しみ、うろたえるなか、妻は、嘆かず恨まず、泰然と死んでいった。
それはまさに「あっぱれな最期」だった。
決して人格者でもなかった妻が、なぜそのような最期を迎えられたのか。

そんな疑問を抱いていた私が出会ったのは、
「菫ほどな小さき人に生まれたし」という漱石の句だった。
そうか、妻は生涯「小さき人」であろうとしたのか――。
妻の人生を振り返りながら古今東西の文学・哲学を渉猟し、よく死ぬための生き方を問う、珠玉の一冊。