最期までいつも通り過ごした妻

これまで読んだ小説や観た映画でも、死の宣告から死までを描く経緯はそのように描かれていたような気がする。

一例をあげるなら、黒澤明監督の『生きる』もまさに同じような経緯を描いていた。

市役所勤めの定年を間近にした男(志村喬が演じていた)は胃癌で余命いくばくもないことを知り、絶望し、遊ぼうとしたり、自棄になったりした後、徐々に自分の死を受け入れていく。

妻はそのような様子をまったく見せなかった。

絶望している様子も煩悶している様子も見せなかった。涙を流すこともなかった。もしかしたら、人知れずイワン・イリイチのような思いを抱いていたのかもしれないが、少なくとも、そんな様子は少しも外には見せなかった。

私はセミリタイアしている身なので、ほとんどの時間を妻と同じ家の中で過ごした。不定期の仕事で出かけたり、コンサートを聴きに行くことはかなりあったが、基本的には仕事のほとんども自宅でしていた。

妻が元気な時は、妻が家事をし、元気がなくなると私が掃除、洗濯などをして、料理は出前やデパートの弁当、スーパーの総菜、冷凍食品などで済ませた。その間、私が死を前にしての妻の苦悩を目撃することはなかった。