五つの目標
前年の経済白書は「もはや戦後ではない」とうたっていました。しかし、百福の脳裏には、戦後の貧しい時代に見たヤミ市のラーメン屋台の行列と、厚生省でのやり取りがよみがえっていたのです。「寒さに震えながら、一杯のラーメンを食べるために、人はあんなに努力するものなんだ。ラーメンはきっと人を幸せにする」
そう信じて、研究にとりかかったのです。
部下もいなければ、お金もありません。昔なじみの大工さんに頼んで、庭に十平方メートルほどの小さな小屋を建ててもらいました。大阪ミナミの道具屋筋を回って中古の製麺機、直径一メートルもある大きな中華鍋を買いました。十八キロ入りの小麦粉、食用油などを買い、自転車やリヤカーの荷台に乗せて自宅まで運びました。
裸電球の下で開発作業が始まりました。大量生産できて、家庭でもすぐに食べられるようにしたい。そのために五つの目標を立てました。
一つ、おいしいこと。
二つ、保存できること。
三つ、調理が簡単なこと。
四つ、安いこと。
五つ、衛生的なこと。
朝の五時に起きて小屋に入り、夜中の一時、二時まで麺を打つ作業に没頭しました。百福は麺についてはまったくの素人で、ああでもない、こうでもないと失敗を繰り返しながら、少しずつ前に進む以外に方法はありませんでした。麺の水分、塩分、かん水などの配合は微妙で、作っては捨て、捨てては作るという繰り返しです。
ようやく、麺の配合が決まりました。そこから先は、阪急池田駅前の栄町商店街の入り口にあった製麺所・吉野商店の初代主原(ぬしはら)宇市に頼み込んで麺を打ってもらうことにしました。
「いったい何を始めるんですか」と聞かれましたが、説明に困りました。
出来上がった生麺を自転車で運んでいると、近所の人が振り返って見ています。昨日までは、たとえ小さくても信用組合の理事長です。
「落ちぶれてかわいそうに」とでも思われていたのでしょう。
何度も逆境から立ち上がってきた百福はそんなことは一向に気にしません。口ぐせの「転んでもただでは起きるな。そこらへんの土でもつかんでこい」(安藤百福語録)を地で行く奮闘ぶりでした。