大きな決断

一時、インスタントラーメンを作る会社が日本全国で三百六十社にも達しました。競争が激しくなっただけでなく、品質の悪い不良品が出回りました。特許に異議申し立てをする会社も出てきて、業界の混乱は続きました。

こうした状況を見かねた食糧庁の長官から、「すみやかに業界の協調体制を確立するように」との勧告がありました。百福はその取りまとめに努力して、「日本ラーメン工業協会」(現在の日本即席食品工業協会)の設立にこぎつけ、初代会長に就任したのです。

『チキンラーメンの女房 実録 安藤仁子』(著:安藤百福発明記念館/中央公論新社)

その時、百福は大きな決断をしました。

「私が特許を独占すれば、日清食品は大きくなるかもしれない。しかし、しょせん野中の一本杉に過ぎない。業界全体で力を合わせて、大きな森として発展する方がよいのではないか」

製法特許の技術を公開したのです。希望する会社にはその使用を許可しました。使用許諾を受けた会社は六十一社に及びました。品質は安定し、消費者の信頼も高まりました。インスタントラーメンは戦後に生まれた新しい加工食品として、どんどん市場を広げていきました。百福の英断はインスタントラーメンが大きな産業として発展する礎となったのです。