「怒った時の母は鬼だった」
イノシシ捕りはやめましたが、いたずらは止まりません。
明美が天然パーマだったのをからかい、髪の毛にチューインガムをつけて取れなくしました。友達と相撲を取って骨折させました。花火をしていて向かいの家に火の粉が飛び、ボヤになりました。キリン草の茎をヤリにして投げ、友達の耳に刺さりました。
池田市内を流れている猪名川は時々台風で氾濫しましたが、そんな時は、川岸の水たまりにいる魚を捕ってきて庭の池に放し、釣りをして遊びました。百福が金魚を買ってきて、同じ池に放しましたが、この時は、明美と一緒にこの金魚を釣って、わざわざ三枚におろして犬に食べさせてしまいました。
仁子は迷惑をかけたご近所には、そのつど謝って回りました。宏基には厳しいお仕置きが待っていました。普通のいたずらの場合は、両耳を引っ張られました。何度も引っ張られたのでしょう、「だから、私の耳は左右に出ている」と宏基は今でも冗談で言うほどです。
「ごめんなさい」と素直に謝らない時は、柱に縛りつけられました。真っ暗な納戸に閉じ込められました。暗がりで、黒い缶に入ったキツネとタヌキの襟巻を見せられ、目だけが光っていて、夢に見るほど怖かったのです。
「勉強しなさい」と言われると、「今勉強しようと思っていたのに、やる気がなくなった」と口答えをして、また怒られました。とうとう、「あの子はほうっておきましょう」ということになりました。すると、「急にやる気が出てきた」(宏基)というのです。相当な反抗的少年でした。
宏基にとって、「怒った時の母は鬼だった」というほど、怖い存在だったのです。
※本稿は、『チキンラーメンの女房 実録 安藤仁子』(安藤百福発明記念館編、中央公論新社刊)の一部を再編集したものです。
『チキンラーメンの女房 実録 安藤仁子』(著:安藤百福発明記念館/中央公論新社)
NHK連続テレビ小説『まんぷく』のヒロイン・福子のモデルとなった、日清食品創業者・安藤百福の妻であり、現日清食品ホールディングスCEO・安藤宏基の母、安藤仁子とは、どういう人物だったのか?
幾度もどん底を経験しながら、夫とともに「敗者復活」し、明るく前向きに生きた彼女のその人生に、さまざまな悩みに向き合う人たちへの答えやヒントがある――寒空のなかの1杯のラーメンのように、元気が沸き、温かい気持ちになる1冊。