負けず嫌いは父親ゆずり

仁子は自分が幼少時に苦労したこともあって、子どもたちの自立を願いました。特に男の子の宏基を厳しく育てました。

宏基は小学校時代に、悔しい思いをしました。

「おまえの親父はラーメン屋か」とからかわれたのです。

「ラーメン屋のなにが悪い」と答えてケンカになりました。

和歌山・白浜町の海岸で(写真:『チキンラーメンの女房 実録 安藤仁子』より)

家に帰って、百福から「日本一のラーメン屋になるんだよ」と言われてやっと安心しました。負けず嫌いは父親ゆずりだったのです。

宏基はいたずらが過ぎて、しょっちゅう仁子を困らせました。

ある時、自分より年下の五、六歳の子を集めて、近くの五月山にイノシシ捕りに行きました。ナイフで竹を削り、弓矢を作りました。それを肩に担ぎ、隊長気どりで山に入りました。すると、がさがさと音がして、イノシシが本当に出てきたのです。山を転げ落ちて逃げました。「全員、おしっこを漏らした」(宏基)というほど、怖かったのです。仁子から「五月山のイノシシ捕りには二度と行くな」ときつく怒られました。