「不安を感じるのは、マイナスの情報というか警報をキャッチできているということ。不安を排除するのではなく、不安と同居することを覚えていくのが成熟なのです。」(撮影:本社・奥西義和)
解剖学者として、生と死に向き合ってきた養老孟司さん。自身の大病や愛猫との別れを経験した86歳のいま、日々感じていることとは(撮影=本社・奥西義和 構成=山田真理)

<前編よりつづく

不安や矛盾を受け入れるのが成熟

僕の生い立ちも含めていろいろ思い返すと、自分でも忘れていたような些末な事柄が人生を動かしてきたのかもしれない、と思うことが多いですね。初の自伝のタイトルは『なるようになる。』ですが、まさにそれが今の実感です。

人が希望や絶望に振り回されるのは、そういった葛藤が大事だったからじゃないでしょうか。長い歴史の中で、それがなかったら人間は滅びていたんだろうと思います。脳味噌ができて人間がものを考えるようになってからせいぜい100万年、生き物としてまだ不完全。生きることは、周囲の環境となんとか折り合いをつけ続けることだから、おそらく終わりはないんですよ。

周りから見れば安寧な老後を送っているのに、「病気になったらどうしよう」「お金が足りなくなるかも」と不安になるのは、現代人的なシミュレーションの病。もしそれが嫌なら、いちいち考えなきゃいいんですよ、そんなもの。

あるいは、あれこれ考えたくないなら、目先を変えるといいと思います。虫の乾燥でも犬や猫の面倒でもなんでもいいのですが、「気が変わること」があるといい。猫が粗相したとなれば、まず片づけなきゃならない。その間は老後の不安なんて、どこかへ飛んでいくでしょう。(笑)

一方で、不安や痛みを「よくないこと」と考える人がいるけれど、僕はそう思いません。僕は不安を感じない人と一緒に虫採りに行きたくない。不安を感じるのは、マイナスの情報というか警報をキャッチできているということ。不安を排除するのではなく、不安と同居することを覚えていくのが成熟なのです。