ニューヨークで世界が広がった

父 :LUNAが中学生になると学校に行かなくなって。渋谷に溜まったり、家に帰ってこなくなったりした時は、さすがの僕もどうなることかと心配していた。私立の中学校だったから義務教育なのに退学させられて、別の学校に行かせようにもLUNAは行かないって言うし、バイトに行ったと思ったら3日で辞めて家で寝てるっていう有様だったから。

娘 :そうだね。あの頃は学校もアルバイトも、とても窮屈に感じていた。

父 :今の時代は、不登校の子どもも増えているし、得意なこと、打ち込めること見つけられるなら学校なんか行かなくてもいいっていう風潮もあるじゃない?LUNAはこの点も先取りだったね(笑)。そんな時、LUNAから好きなことがあるんだって聞いて、獅子が千尋の谷に子を突き落とすような悲壮な気持ちでニューヨークに送り出した。

娘 :ヒップホップが好きで、本場に行ってみたかった。度胸や経験はある方だと思っていたけれど、好きなことのために寝食も我慢して努力してる人たちにたくさん出会って、自分の世界が広がりました。

「好きなことのために寝食も我慢して努力してる人たちに出会い、自分の世界が広がった」と話すLUNAさん

父 :黒人の方がほとんどのハーレム(編集部注:ニューヨーク州のマンハッタン北部にある地区)に一人で暮らして、まさか「アポロシアター」の<アマチュアナイト(編集部注:プロへの登竜門として知られ、数々のスターを輩出するイベント)>にまで挑戦して、喝采とブーイングのどちらも浴びたって聞いて本当に驚いた。正直そこまでできるとは思っていなかったから。帰って来た時、今まで僕のことを見もしなかった子が、キラキラした瞳で「本当に行ってよかった」と僕に言った。目線が定まっていて、日本にいた時と全然違っていたよ。

娘 :それまでは“Mr.マリックの娘”って言われることが嫌だったのに、音楽の世界で自分に居場所ができてからは、2世だと言われることの拒否感もなくなりました。活動が軌道に乗ってきたところで、きちんと公表して取材も受けるようになったよね。それまではお互い、ひた隠しにしていた。

父 :テレビの世界は5年で飽きられると言われています。1990年代からテレビで長年“超魔術”をやってきていた僕ですが、LUNAとの共演は、また新鮮に受け止められた。最初は僕がLUNAをテレビの世界へ引っ張ろうという感覚だったけれど、逆にLUNAに引っ張られて、再度ブームを起こしてもらったところがある。LUNAが僕を引き上げてくれたと言ってもいい。