「いるのに何もしない」なら要らない

結婚後からはじまった元夫のDVと、はじめての育児による過労。当初は「これくらいで」と思っていたストレスが、積み重なるうちにあふれた。長男は、眠らない子どもだった。昼も夜も1時間ごとに泣いて起きる彼の育児を一人きりで担うのは、体力的にも精神的にも限界だった。その大変さを理解しようともせず、投げやりで無神経な言葉をぶつけてくる元夫に耐えきれず、家を飛び出した。

一晩だけ車の中で眠り、翌朝帰宅した私に彼は「母親失格だ」と言った。この人は父親で、息子の親なのに、子育ての大変な部分はすべて母親が背負って然るべきだと思っている。それに気づいた時、心底「要らない」と思った。目の前にいるからあてにしたくなるのであって、いなければ1人だと腹を括れる。「いるのに何もしない」人間が、子育て期においてもっとも腹立たしい存在で、だったらはじめからいないほうがいい。

「離婚しよう」

“家族って何だろう。夫婦って、何なのかしら。わたしが一番頼りにしたいときに、一番ひどい人だったあなたは、わたしの何だったの”

元夫にはじめて離婚を願い出た時、家出中に思い出した物語の一節が脳裏をよぎった。天童荒太氏による『あふれた愛』収録作品「とりあえず、愛」。子育ての悩みや日々のストレスが原因でうつ病を患った妻と、妻の苦悩を顧みず責め続ける夫の物語。忘れていた結末を辿るべく帰宅後に読み返した物語は、自分と重なる要素が多すぎて少し苦しかった。それでも、読み進めた。この夫婦の結末がどんなものか、それを知りたかった。