育児の大変さを元夫と共有したかった

“「これでも頑張ってきたんだよ。けど、どうしても疲れるし、やる気も出なくなるし、わけもわからず悲しくなるし、不安になるし……でも我慢して、頑張ってきたんだよ」”

夫に切々と訴える莎織の言葉が、自分の内面とリンクした。がんばってもがんばっても楽にならない。押し寄せる不安と疲労。その最中にも泣き喚く赤ん坊。そういう日々を「幸せだ」と笑って過ごせない人間は「母親失格」だと言われる風潮が、何よりも辛かった。

元夫が求める「出産前の」私は、ひどく身軽だった。一瞬でも目を離すと死んでしまう生き物が、四六時中隣にいる。息子の命が、常に自分の肩にかかっている。その重圧は想像以上に凄まじいもので、身軽だった頃の私に戻るのは不可能だった。

前々回のエッセイでも綴ったが、子育ての苦労の感じ方には個人差がある。育てにくい子と育てやすい子の相違、頼れる実家の有無などにより、母親にかかる負担は大きく異なる。もちろん、子育てを担っているのが母親だけとは限らない。父親にしろ、祖父母にしろ、主体的に育児をする人の環境や子の特性により、状況は千差万別である。

育児経験者が殊更に「大変さ」を強調することは、これから育児をはじめる人にとって呪いとなるケースもあろう。ただ、「大変だった」と感じる人が、その気持ちを個人的に吐露することくらいは許されてほしい。大変だった記憶を「大したことじゃなかった」と変換して話すのは、私の中では違和感がある。

長男の育児は、私にとって大変だった。私はそれを、誰よりも元夫にわかってほしかった。